2011年11月15日
越前竹人形 (水上勉)
越前竹人形。
福井県の山奥の寒村で、生計を立てるために始めた竹細工加工業から生まれた竹人形作り。
その寒村で竹細工を始めた嘉左衛門の息子嘉助は、父親と男女の関係にあった玉枝を嫁に迎え、竹人形作りに邁進する。
嘉助の手による竹人形は京都や大阪でも好評を博したのだが・・・
雁の寺に比べると、少し長いせいもあってか、途中、玉枝が京に行って奔走するあたりが少し筋を追うだけになってしまったが、もちろん全体を通しての物語はとても素晴らしいし、最後はとても儚い。
儚いし、なんともやるせない。
文章で表現された越前竹人形がどのような人形なのか、ネットで探したところ、今の竹人形はこのような感じだそうだ。

この竹人形の話を、このような物語に紡いでしまう水上勉氏の創造力にはまいってしまう。
さらに、最後の五行。
今日「越前竹人形」と名づくる真竹製の量産品が市場に出廻っているけれど、これらの製品は、この物語に出てくる竹神部落と何ら関係はない。
今日の竹人形が、いわゆる嘉助人形の後継であるかどうか、作者は詳らなことは知らない。
しかし、南条山地を分け入った竹神部落にゆくと、椿の花の咲く墓所の周囲を取り囲む雑然とした竹藪が、風にそよいでいる。
いわせる、五行ではないか!
2011年11月13日
雁の寺 (水上勉)
海外文学はドストエフスキーに、日本文学は水上勉にはまっている。
水上勉氏の代表的作品である、雁の寺、越前竹人形の入った文庫を買い求めて読んだ。
この二作を収録した文庫本は、今後何度となく、間違いなく再読するだろう。それくらいのどちらの作品も名作だ。
とくに「雁の寺」は、全体を通して不必要な部分がなく、文章もしまっていていい。
(谷崎潤一郎氏がエッセイで、越前竹人形の水上勉氏の作品を褒めているが、それでも文章については、どちらかというと平凡でややたどたどしい、と書いているが、雁の寺にしても、越前竹人形にしても、十分ではないかとぼくは思う。)
名作といわれる小説なので、多くの人が批評し、読後感も発表しているので、ぼくなりの感想だけを一つ。
カラマーゾフの兄弟で、一番気になる人物として僕は、スメルジャコフを上げた。
雁の寺の主人公である慈念の、出生のこと、置かれた境遇。なんとなく通じるものを感じた。
椎の木のてっぺんに見た、鳶が作ったほの暗い穴。慈念もスメルジャコフも、同じような、ほの暗い穴を見てしまった人間ではなかったか。
2011年11月06日
飢餓海峡の風景
休みが取れたので下北半島を自分の目で見、津軽海峡を渡ろうと思い立ち、旅に出た。
飢餓海峡。言わずと知れた水上勉の小説の題名である。
青森港からはフェリーで函館へと渡った。
犬飼多吉が上陸した仏ヶ浦をフェリーから見ようと思ったが双眼鏡なしにはほとんどよく判らず、しかしあの辺りだなということでイメージを勝手に膨らませた。
フィクションであるのに、実際に行って見てみたい、土地の雰囲気を感じてみたいと思わせる物語の力。文学の力って、いったい何なのだろうかと思う。
2011年10月23日
水上勉 文藝別冊を買った
東日本大震災で改めて人間と風土への関心が高まっているが、水上勉が生きていたら何を感じて何を語るだろうかと、思わずにはいられない。
2011年10月12日
太市 (水上勉)

この短編アンソロジーの中に収録されている、水上勉の「太市」。
これは、一読をおすすめする。これまでも、多くの価値感を脅かされる文学作品に出会ってきたが、この短い物語の中に、何ともいえないせつないというか、もの悲しさと、また、怖ろしさを感じる。
車谷長吉氏と水上勉氏の対談が掲載してある本のなかに、車谷氏が「太市」を読んで凄い小説だと思ったということを告白しているのだが、まさにそのとおりだなと思わせる作品だ。
多くの人に「太市」を読んでもらいたいと思う。
似たような感慨を抱いた小説に、イギリスの作家アラン・シリトーの「フランキー・ブラーの没落」という短編がある。フランキー・ブラーの没落を何度も読んでいたからこそ、太市の話が、予定調和的に悲しみを誘発したのかもしれない。