2012年02月17日
謎とき『カラマーゾフの兄弟』(江川卓)
![]() | 謎とき『カラマーゾフの兄弟』 (新潮選書)著作者:江川 卓 出版社:新潮社 価 格:1,365 円 |
先週、久しぶりにドストエフスキーの世界に戻った。
カラマーゾフの兄弟を読み進める中で、スメルジャコフのことが気にかかって仕方がなかったが、江川氏もまたスメルジャコフが気になっていたことが判明し、かれを知ることがカラマーゾフの兄弟をさらに知ることにつながるのだろう、という推測は当たっていた。
果たして、スメルジャコフとは何者として描かれたのか?
そして実際に何者だったのか?
<実際に>という言い方はフィクションに向う言葉としてはふさわしくないが、作者の<企図>としていたスメルジャコフが、<実際に>物語の中で作者の<企図>を離れてしまうことはなかったか?
スメルジャコフのあの陰鬱な雰囲気。やけに論理的な会話。イワンに対する愛憎とも受け取れる忠誠と裏切り(?)
カラマーゾフの兄弟を深く知るための手がかりとして、スメルジャコフのことをもう少し考えてみたい。
カラマーゾフの血が流れているのは、ドミートリー(長兄)、イワン(二男)、アリョーシャ(三男)。三人の兄弟だけではない。スメルジャコフにもカラマーゾフの血が流れているわけであるから。
2011年11月16日
白痴 (ドストエフスキー)
ブログの投稿画面に、Amazon書籍検索が追加されていたので、テスト投稿してみる。
ふむふむ。とりあえず問題なさそうだ。
と思ったら、ブログのトップへは画像が出ないようだ・・・
ふむふむ。とりあえず問題なさそうだ。
と思ったら、ブログのトップへは画像が出ないようだ・・・
![]() | 白痴 (上巻) (新潮文庫)著作者:ドストエフスキー 出版社:新潮社 価 格:900 円 |
2011年11月08日
2011年10月28日
2011年10月27日
スメルジャコフという造形
ドストエフスキーは恐ろしい小説家である。
罪と罰、悪霊、カラマーゾフの兄弟と、続けて読んできて思うのは、登場人物の造形の力だ。
罪と罰、悪霊ともに、実際の事件に触発されモチーフにして書かれているが、それにしても、物語に出てくる人物造形の力は凄い。
リアルの人物以上に、より人間的に造形されているのではないかとさえ思う。
一人の人間の魂や性格、心の動きの深淵を、極端から極端までを披露することが、この小説家の真髄なのだろうと思う。
そして、カラマーゾフの兄弟で造られた「スメルジャコフ」という召使の男。
この男の出自、幼少期、青年期、恋愛、自殺に至るまでの全てを、この男の魂の声とともに理解しようとすることの試みが、ひょっとすると、カラマーゾフの兄弟を読むことの最上の挑戦すべき目標なのかもしれない。
※かつて村上春樹さんのサイトに『バー・スメルジャコフ』というコーナーがあったという。
2011年10月25日
カラマーゾフの兄弟 下巻 鋭意読書中!
家に帰ると、もっぱらカラマーゾフの兄弟の読書に没頭している。
スメルジャコフ。
映画にしたら、こいつ(あえてそういう!)の配役をだれにするかが、一番肝心だと思う。
カラマーゾフの兄弟は推理小説として非常に良く出来た話だというのが、読んでみて判った。
いまさらではあるがね^^
※ドストエフスキーの小説は、ぼくは、このカバーの方が好きだ。
2011年10月25日
亀山郁夫氏講演会 感想
10月22日(土)14時から行われた、亀山郁夫氏の講演の感想を少し。
会場は日比谷の日本プレスセンタービル10階会議場。首相会見や党首討論も行われるという会議室ということだった。
ドストエフスキーの『悪霊』は、ピョートルという革命家というか扇動家が、五人組を組織し、国家転覆を図ろうとするが、組織を抜けたいという一人をつるし上げ、処刑までするというもの。また、ピョートルが信望するニコライという若い男が、もう一人の主人公である。
とまあ、こんな内容なのだが、
話を聞いて、なるほどな、と思ったのは、
【使嗾】(しそう):そそのかすの意
という言葉だった。
そもそも悪霊とは何か、悪霊的な行為とは何か、ということに対して、僕は明確な答えを持てぬまま読んでいたが、一つの解釈として、【使嗾】という行為が悪霊的ではないかという考え方は理解できる。
もちろん他人の命を奪う行為にまでいたるという結果からして、というとではあろう。
ピョートルの悪霊性は、<自らの手を汚さずに殺人を企てようとした>という行為一点に尽きるのかどうか。
それから、質問者から、素晴らしい質問が出た。
『スタヴローギン(=ニコライ)にも悪霊が入っていたのか。スタヴローギン自体が悪霊ではなかったか』
という質問だった。答えは明白なようで、案外難しい問いだなと思った。
『スタヴローギンは悪霊』そのものだと、僕自身は思う。かれか、もしくは遡るとステパン氏が、悪霊の萌芽する種を植えたのではないか、と思われる記述もあるし、そう読んでいる人も多いと思う。
それ自体が『ロシア的』だといってしまっては、あまりにも普遍化しすぎているし、そこに帰結してしまっては、僕自身逃げてしまうことになるので、逃げることなく考えてみたい。
会場は日比谷の日本プレスセンタービル10階会議場。首相会見や党首討論も行われるという会議室ということだった。
ドストエフスキーの『悪霊』は、ピョートルという革命家というか扇動家が、五人組を組織し、国家転覆を図ろうとするが、組織を抜けたいという一人をつるし上げ、処刑までするというもの。また、ピョートルが信望するニコライという若い男が、もう一人の主人公である。
とまあ、こんな内容なのだが、
話を聞いて、なるほどな、と思ったのは、
【使嗾】(しそう):そそのかすの意
という言葉だった。
そもそも悪霊とは何か、悪霊的な行為とは何か、ということに対して、僕は明確な答えを持てぬまま読んでいたが、一つの解釈として、【使嗾】という行為が悪霊的ではないかという考え方は理解できる。
もちろん他人の命を奪う行為にまでいたるという結果からして、というとではあろう。
ピョートルの悪霊性は、<自らの手を汚さずに殺人を企てようとした>という行為一点に尽きるのかどうか。
それから、質問者から、素晴らしい質問が出た。
『スタヴローギン(=ニコライ)にも悪霊が入っていたのか。スタヴローギン自体が悪霊ではなかったか』
という質問だった。答えは明白なようで、案外難しい問いだなと思った。
『スタヴローギンは悪霊』そのものだと、僕自身は思う。かれか、もしくは遡るとステパン氏が、悪霊の萌芽する種を植えたのではないか、と思われる記述もあるし、そう読んでいる人も多いと思う。
それ自体が『ロシア的』だといってしまっては、あまりにも普遍化しすぎているし、そこに帰結してしまっては、僕自身逃げてしまうことになるので、逃げることなく考えてみたい。
2011年10月23日
2011年10月22日
亀山郁夫氏講演会に行きます
今日は、念願の、亀山郁夫氏の講演会に行く。
日本記者クラブ(日本プレスセンタービル)10階ホールで開催される、ドストエフスキー『悪霊』の講演会だ。
講演の内容は、このほんファンブログにも投稿しますので、お楽しみに。
日本記者クラブ(日本プレスセンタービル)10階ホールで開催される、ドストエフスキー『悪霊』の講演会だ。
講演の内容は、このほんファンブログにも投稿しますので、お楽しみに。
2011年10月21日
人はパンのみに生きるにあらず
なみログの独読日記ファンの皆さん。おはようございます!
今朝はいまから大阪へ出張です。
明日は、午後から有楽町でドストエフスキーの翻訳者亀山氏の講演会があるので、
日帰りで東京へ戻ってくる予定です。
ま、大阪出張は、できるだけ日帰り出張が基本ではありますがね^^
さ、て。
ドストエフスキーの、カラマーゾフの兄弟。
上巻の最後の章は、あまりにも有名な大審問官の話である。
二男のイワンが、三男のアリョーシャに自作の物語を語るという、<劇中劇>のしかけになっている。
そのなかで、『人はパンのみに生きるにあらず』という有名な言葉というか、思想というか、哲学というか、その言葉につながる話が語られるのだが、(聖書に出てくるのかな。ぼくは聖書はわかりません)
この言葉の解釈は、ちょっと調べただけでもいくつかあるようだ。
<パン>=<生きるための食糧> 『人は食が満たされれば生きていけるというものではない』
という風に解釈すると、文化や芸術、精神的なものの豊かさなども大事ですよ。という意味に受け取れる。
<パン>=<お金> 『人は金だけで生きていけるものではない』
これも、上の解釈と根底では同じことだが、このように解釈できる。
多くの人は、この言葉をどう読み、どう納得しているのか、と思った。納得しないという意見があればそれも含め。
今朝はいまから大阪へ出張です。
明日は、午後から有楽町でドストエフスキーの翻訳者亀山氏の講演会があるので、
日帰りで東京へ戻ってくる予定です。
ま、大阪出張は、できるだけ日帰り出張が基本ではありますがね^^
さ、て。
ドストエフスキーの、カラマーゾフの兄弟。
上巻の最後の章は、あまりにも有名な大審問官の話である。
二男のイワンが、三男のアリョーシャに自作の物語を語るという、<劇中劇>のしかけになっている。
そのなかで、『人はパンのみに生きるにあらず』という有名な言葉というか、思想というか、哲学というか、その言葉につながる話が語られるのだが、(聖書に出てくるのかな。ぼくは聖書はわかりません)
この言葉の解釈は、ちょっと調べただけでもいくつかあるようだ。
<パン>=<生きるための食糧> 『人は食が満たされれば生きていけるというものではない』
という風に解釈すると、文化や芸術、精神的なものの豊かさなども大事ですよ。という意味に受け取れる。
<パン>=<お金> 『人は金だけで生きていけるものではない』
これも、上の解釈と根底では同じことだが、このように解釈できる。
多くの人は、この言葉をどう読み、どう納得しているのか、と思った。納得しないという意見があればそれも含め。
2011年10月20日
神秘的な客 ゾシマ長老の話より
ゾシマ長老の話に、神秘的な客の話がある。
朝から紹介するには重い話なので、内容の紹介はあとにするが、非常に興味深い。
芸術は、<ときに人を脅かすもの>、ということを、二十代のときにある人から教えられ、
そのとき以来、芸術を、美しいとか、きれいだとか、の尺度だけではなく芸術を捉えようと
しているが、
ドストエフスキーの書く、小説の中には、読む側の価値感を脅かされるものがある。
かれは(=ドストエフスキー)は、自らを、ディテールの小説家であると称したらしい。
何についてディテールの小説家であるか、という自問には、
『私は魂のディテールを描いている』
と言っている。(埴谷雄高の評論本によると)
まさにかれの書く小説の多くは、<芸術>と呼ぶべきものではないかと思う。
朝から紹介するには重い話なので、内容の紹介はあとにするが、非常に興味深い。
芸術は、<ときに人を脅かすもの>、ということを、二十代のときにある人から教えられ、
そのとき以来、芸術を、美しいとか、きれいだとか、の尺度だけではなく芸術を捉えようと
しているが、
ドストエフスキーの書く、小説の中には、読む側の価値感を脅かされるものがある。
かれは(=ドストエフスキー)は、自らを、ディテールの小説家であると称したらしい。
何についてディテールの小説家であるか、という自問には、
『私は魂のディテールを描いている』
と言っている。(埴谷雄高の評論本によると)
まさにかれの書く小説の多くは、<芸術>と呼ぶべきものではないかと思う。
2011年10月19日
2011年10月19日
2011年10月18日
亀山郁夫氏の『悪霊』講演会のお知らせ
ドストエフスキーの『悪霊』などの翻訳者である、亀山郁夫氏の講演会が、
今週土曜日にある。
フフフっ。
すでに申込み済み。
楽しみだあ!
http://www.kotensinyaku.jp/blog/2011/09/post-114.html
〜〜以下、Webサイトから転載〜〜
日時: 2011年10月22日(土)14:00〜16:00
会場: 日本記者クラブ(日本プレスセンタービル)10階ホール
千代田区内幸町2−2−1
アクセス: 東京メトロ千代田線・日比谷線・丸ノ内線 霞ヶ関駅、都営地下鉄 三田線 内幸町駅、JR 新橋駅 日比谷口(SL広場)より徒歩約10分
参加費: 会員 2,000円(日ロの友好団体の会員同額)/学生 2,000円/一般 2,500円
【お申し込み方法】
会員/学生/一般、郵便番号・住所・氏名・電話・FAX・E-mail等を明記の上、FAX、E-mail、または郵便でお申し込みください。
満員になり次第締め切りとさせていただきますので、お早めにお申し込みください。
【主催】
NPO 日ロ交流協会 (〒106‐0041 港区麻布台3−4−14 -401)
〈TEL〉03-5563-0626 〈FAX〉03-5563-0752 〈E-mail〉nichiro(アットマーク)nichiro.org
※しかし、Webではまだ申込み続いているけど満席じゃないんかい!と突っ込みたくなる。
行ったら行ったで満席かもしれんけどね。よくあるパターン。
2011年10月16日
2011年10月15日
2011年10月13日
スタヴローギンの告白
悪霊の、ニコライスタヴローギン外伝にあたる章を読んだ。
息をつかせぬ文章、設定舞台である。
チホンとスタヴローギンの会話の応酬は全てを理解はできないが緊迫感があって、読みごたえがあった。
息をつかせぬ文章、設定舞台である。
チホンとスタヴローギンの会話の応酬は全てを理解はできないが緊迫感があって、読みごたえがあった。
2011年10月13日
悪霊 読了
深夜眠れずに、3時半頃から起きて、悪霊を読む。
読了。
※ニコライ・スタブローギンの告白の章が最後についていたが、そこはまだ。
ピョートルの陰謀によるシャートフ殺しと、キリーロフの自殺のくだりにいたっては、さすがにぐいぐいと読ませた。
また、奇怪な事件後のステパン氏が放浪の旅に出立し、病気になり、ワルワーラ婦人が迎えに来る話のところは、メロドラマ風であることは否めないが、感動が盛り上がってきた。
ニコライと、ピョートルの関係性や、ピョートルが組織化しようと画策した混乱の絵図については、少し詳しく別の投稿で書きたいと思う。
改めて思ったが、ドストエフスキーは面白い!