2011年10月08日
哀しい予感 (吉本ばなな)

〜2003年6月のノートより〜
読書会で取り上げた。
彼女の書く初期の小説は、感性がみずみずしく、ノスタルジックな印象を与える。読書会に出席した60代の女性は、「哀しい予感」をとても面白く読んだと言われ、この歳になると気持ちがみずみずしいものを受け入れるようになるのかな、と言われた。そんな風に年齢差を超えて親しまれる作品をうらやましいとさえ思う。
さて僕の感想だが、ストーリー展開に唐突感があった。急なドラマを見せられているような感じ。おばを探しに青森まで行くのだが、あっけなく姉が見つかってしまう。あまりにも偶然すぎて、現実味に欠ける。そういう意味では前半が面白いし、登場人物の個性がよく描けている。おばの人物設定はとても効いている。
「哀しい予感」とは何に対する予感なのだろうか。弥生が自己を確立するために、避けてはとおれない「家族の解体」。その哀しさを予感するものだろう。たしかに家族は解体するのだろうが、この小説の後味の良さは、そこに光があるからだ。育ての両親の弥生に対する深い思いや、彼等に対する弥生の素直な気持ち。暗さはない。
ただ、物語の底を流れる哀しさ、残酷さ。僕はそこを考えていたのだが、物語を巡って一つの解釈をしてみたい。それは両親が死ぬことになった青森の最後の旅行は、そもそも一家心中をする目的ではなかっただろうか、という解釈だ。一家心中のために向かった旅行の途中で、不慮の事故に遭遇し、両親は亡くなる。残されたのは姉と妹。妹は血のつながりもなにもない夫婦に預けられ、事故のショックから本当の両親のことについては何も覚えていない。姉はそれまでの生活環境を変えることができないという理由から、一人で暮らすことを選択するが、その裏に隠された思いは、両親と一緒に死ぬことができなかったことに対する複雑な思いが、彼女を一人にさせたのではないだろうか。
ひねくって考えすぎているかも知れないが、そういう感じがいたるところにする作品である。