2011年10月20日
神秘的な客 ゾシマ長老の話より
ゾシマ長老の話に、神秘的な客の話がある。
朝から紹介するには重い話なので、内容の紹介はあとにするが、非常に興味深い。
芸術は、<ときに人を脅かすもの>、ということを、二十代のときにある人から教えられ、
そのとき以来、芸術を、美しいとか、きれいだとか、の尺度だけではなく芸術を捉えようと
しているが、
ドストエフスキーの書く、小説の中には、読む側の価値感を脅かされるものがある。
かれは(=ドストエフスキー)は、自らを、ディテールの小説家であると称したらしい。
何についてディテールの小説家であるか、という自問には、
『私は魂のディテールを描いている』
と言っている。(埴谷雄高の評論本によると)
まさにかれの書く小説の多くは、<芸術>と呼ぶべきものではないかと思う。
朝から紹介するには重い話なので、内容の紹介はあとにするが、非常に興味深い。
芸術は、<ときに人を脅かすもの>、ということを、二十代のときにある人から教えられ、
そのとき以来、芸術を、美しいとか、きれいだとか、の尺度だけではなく芸術を捉えようと
しているが、
ドストエフスキーの書く、小説の中には、読む側の価値感を脅かされるものがある。
かれは(=ドストエフスキー)は、自らを、ディテールの小説家であると称したらしい。
何についてディテールの小説家であるか、という自問には、
『私は魂のディテールを描いている』
と言っている。(埴谷雄高の評論本によると)
まさにかれの書く小説の多くは、<芸術>と呼ぶべきものではないかと思う。