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Posted by さがファンブログ事務局 at 

2011年10月25日

カラマーゾフの兄弟 下巻 鋭意読書中!



家に帰ると、もっぱらカラマーゾフの兄弟の読書に没頭している。

スメルジャコフ。

映画にしたら、こいつ(あえてそういう!)の配役をだれにするかが、一番肝心だと思う。

カラマーゾフの兄弟は推理小説として非常に良く出来た話だというのが、読んでみて判った。

いまさらではあるがね^^

※ドストエフスキーの小説は、ぼくは、このカバーの方が好きだ。


  

Posted by なみログ at 18:37 | ドストエフスキー

2011年10月25日

亀山郁夫氏講演会 感想

10月22日(土)14時から行われた、亀山郁夫氏の講演の感想を少し。

会場は日比谷の日本プレスセンタービル10階会議場。首相会見や党首討論も行われるという会議室ということだった。

ドストエフスキーの『悪霊』は、ピョートルという革命家というか扇動家が、五人組を組織し、国家転覆を図ろうとするが、組織を抜けたいという一人をつるし上げ、処刑までするというもの。また、ピョートルが信望するニコライという若い男が、もう一人の主人公である。

とまあ、こんな内容なのだが、

話を聞いて、なるほどな、と思ったのは、

【使嗾】(しそう):そそのかすの意

という言葉だった。

そもそも悪霊とは何か、悪霊的な行為とは何か、ということに対して、僕は明確な答えを持てぬまま読んでいたが、一つの解釈として、【使嗾】という行為が悪霊的ではないかという考え方は理解できる。
もちろん他人の命を奪う行為にまでいたるという結果からして、というとではあろう。
ピョートルの悪霊性は、<自らの手を汚さずに殺人を企てようとした>という行為一点に尽きるのかどうか。

それから、質問者から、素晴らしい質問が出た。

『スタヴローギン(=ニコライ)にも悪霊が入っていたのか。スタヴローギン自体が悪霊ではなかったか』

という質問だった。答えは明白なようで、案外難しい問いだなと思った。

『スタヴローギンは悪霊』そのものだと、僕自身は思う。かれか、もしくは遡るとステパン氏が、悪霊の萌芽する種を植えたのではないか、と思われる記述もあるし、そう読んでいる人も多いと思う。

それ自体が『ロシア的』だといってしまっては、あまりにも普遍化しすぎているし、そこに帰結してしまっては、僕自身逃げてしまうことになるので、逃げることなく考えてみたい。







  

Posted by なみログ at 09:53 | ドストエフスキー