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Posted by さがファンブログ事務局 at 

2011年12月14日

グロテスク(桐野夏生)


意外に興味深いかもと思ったのは、チャンの境遇の話の部分だ。

中国の内陸部から広州へ出る汽車の中の話や、日本へ密航してきた部分の話は、僕があまりにも知らないだけだったかもしれないが興味深く読んだ。


チャンがユリコと出会い、殺害するに至る過程があまりにもあっけなさすぎる印象を受けたが、ユリコのあのような冷淡な態度は案外リアリティがありそうだ。
まだ読んでいる途中だが、登場人物一人一人の境遇を丁寧に読み進めようと、文庫の下巻に入ってから思った。

ストーリーだけを追ったり、ワイドショー的な関心だけで読まないようにしたい。
  

Posted by なみログ at 20:23 | 文学(日本)

2011年12月11日

18番ホール (横山秀夫)


短編集『真相』に入っている『18番ホール』は、地方の小さな市長選挙に立候補した、若手の県職員の話だ。

タイトルから連想するゴルフに関するミステリーかとおもいきや、全く違う選挙にまつわる人間模様の話で、またしても横山秀夫氏の心理描写の巧みさに、ぐいぐいと引き込まれてしまった。

ミステリーのオチは、あってもなくてもいいくらい、小説としては出来上がっている。仮に事件がなかったとしても、成立するだろう。もちろん事件があり、真相があるから、主人公の置かれた立場はより切実な、緊迫したものになり、人間性があらわになる。
横山氏の小説は、追い詰められた人間が、どのように振る舞うか、隠された人間性をあばきだすような意図があり、我々読者にも少なからずそういう境遇に置かれたときにどうしてしまうのかを考えさせるところがある。


  

Posted by なみログ at 21:39 | 文学(日本)

2011年12月04日

真相(横山秀夫)

横山秀夫氏の短編集を求めて買った。

真相という本書に収録されている中でも際だってよかったのは、『花輪の海』という作品だ。

大学空手部の夏合宿での苛酷なシゴキの末の友人の水死。それから十年。仲間だったかれらが会おうということになるのだが

主人公の城田が抱える良心の呵責はよく判る。またイシヤンこと石倉の置かれた境遇。デコこと安岡の言い分も判る。簡単ではあるが、それぞれの立場でそれぞれの心情を的確に表している。

ストーリーもよく出来ている。

そしていまさらながら、横山秀夫氏の小説の良さは、実はストーリーにあるだけではなく、人物の造形、人物にたいする作者の確かな眼差しにあるというのがよく判った。
  

Posted by なみログ at 22:14

2011年11月29日

陰の季節 (横山秀夫)

陰の季節 (文春文庫)

陰の季節 (文春文庫)

著作者:横山 秀夫

出版社:文藝春秋

価 格:500 円



今朝、なぜだか、横山氏の短編集を数年ぶりに鞄に入れた。

マフラーと手袋が必要な季節になったからか。

太陽がまぶしい朝より、薄暗く冷え込む朝の方が、警察小説は似合う。と思う。

パンと牛乳。公衆電話。電信柱。煙草の吸殻。

そんなイメージの刑事はこの短編には出てこないが、どの短編も面白い。

  

Posted by なみログ at 19:11 | 文学(日本)

2011年11月28日

ゼロの焦点 (松本清張)

ゼロの焦点 (新潮文庫)

ゼロの焦点 (新潮文庫)

著作者:松本 清張

出版社:新潮社

価 格:746 円




ゼロの焦点。

ぼくが関心を持ったのは、鵜原憲一と室田佐知子の邂逅の部分だ。

文章であきらかにされていないことがあれこれと想像が浮かぶ。

映画は観ていないが、室田佐知子のことがどのように描かれているのか。そこが一番気になるところだ。

それにしても、結末のドタバタとした感じはどうだろうか。
ずいぶんと雑な感じがする。

さすがに息切れしたのか、頭の中には論理展開がすべて入っていて、それをそのまま筆を走らせたという印象が否めない。(と読んでいる途中からそう思ってしまった)  

Posted by なみログ at 20:13 | 松本清張

2011年11月27日

立松和平 自選短編集


駒込図書館で借りてきた。

立松和平氏というとニュースステーションで金曜日に全国各地から中継レポートしていた姿を思い出す人が多いだろう。
遠雷という小説があり映画にもなっているが、映画はみたことある人もいるだろう。

永島敏行(だったよな?)。ジョニー大倉。

ジョニー大倉がいい演技していた。

もちろん小説も読んだ。好きな小説である。

ということで、立松和平を借りてみた。
さてさて、どんな小説との出会いがあるか楽しみだ。

  

Posted by なみログ at 23:08 | 文学(日本)

2011年11月24日

鎌倉文学館

昨日、鎌倉文学館へ行ってみた。

■鎌倉文学館Webサイト

由比ヶ浜を望む高台の別荘をそのまま施設として使用してあり、昨日も、海にはいくつもの白いヨットの帆が立っていた。


写真はウィキペディアより

鎌倉文士といわれる、久米正雄、芥川龍之介、川端康成などそうそうたる作家が、鎌倉に居を構え、文学のみならず、市民交流も活発に行っていたというのは、かえって新鮮に感じた。

というのも、地方の文学同人に所属していたことがあり、いまでも地方の文学同人の意義は強く感じているが、地域との関わりとなると、果たしてどうだろうかと思うからだ。やるべきことはまだまだたくさんあるような気がしてならない。
  

Posted by なみログ at 06:50

2011年11月21日

月のしずく (浅田次郎)


今朝、浅田次郎氏の短編を読んでいて、都営三田線で芝公園で下車するのを忘れてしまった。

三田で慌てて下車し階段を降りて反対に向かう電車に乗った。

浅田次郎氏の小説はたしかに物語ができすぎてる感じがするがよく書かれている。


  

Posted by なみログ at 23:34 | 文学(日本)

2011年11月19日

角筈にて (浅田次郎)

短編復活 (集英社文庫)

短編復活 (集英社文庫)

著作者:赤川 次郎

出版社:集英社

価 格:840 円




集英社文庫にある、『短編復活(集英社文庫編)』

この中に収められている、浅田次郎氏の、『角筈にて』という短編が良い。

予定調和的にすすむ物語なんだけど、それはそれでいいと思う。そういうラストを求めて読んでいる自分がいるわけだし。

また、この短編集の、志水辰夫氏の『プレーオフ』もいい。

どちらも、企業勤めのサラリーマンにお薦めの小説だ。  

Posted by なみログ at 18:21 | 文学(日本)

2011年11月19日

フランキー・ブラーの没落 アラン・シリトー

長距離走者の孤独 (新潮文庫)

長距離走者の孤独 (新潮文庫)

著作者:アラン シリトー

出版社:新潮社

価 格:500 円



アラン・シリトーの『長距離走者の孤独』という新潮文庫の一冊は、しばらくは鞄の中に入れておいて損は無い一冊だ。
表題の小説はもちろんだが、この中に収められているすべての短編が、繰り返し読むに値する短編であるといっても過言ではない。
長距離走者の孤独は、できれば十代。高校生でも読んでいいとさえ思うが、ほかの短編には、三十代になっても、味わうことのできる、青春の残照、郷愁、人生の悲哀などがある。

シリトーを、怒れる作家、とレッテル貼りしたことで、どうしても反抗心の強い若者向けの文学という位置づけにしてしまっているのか。
けれど、下記のように書き残していた、フランキーブラーの没落という小説は、時代が過ぎ去っていく寂しさと、青春の終わり、青年期から大人になったものたちのなんともいえないせつなさを感じずにはいられず、読むたびに胸がつまる思いがするのだ。

2001.10.13のノートより(備忘録代わりに)

フランキー・ブラーの没落(「長距離走者の孤独」 アラン・シリトー 新潮文庫) 

手元にある短編集を再読。

作家となったアラン本人らしい主人公が、フランキーというガキ大将と遊んだ懐かしい日々、戦争という現実が少年世界に迫り、少年世界が終焉を迎えるまでを、生き生きと描いた作品。

数年が経ち、お互い大人となったフランキーとの再会はせつなさを感じさせる。

シリトーは、自らノッティンガムの工場群の中で育った経験から、底辺で生活する人々の生の声、心情を取り繕うことなく、正面を切って描くことによって、自分の文学スタイルを確立したと思うが、まさにこの作品を読むと彼が誰を代弁し、誰に対して怒りを顕にしているのかがよく伝わってくる。

フランキー・ブラーという社会的弱者(もちろん彼は弱者なんて思っていないが)に対する社会の扱いにまっこうから文句をつける主人公の言葉は、作家としてのシリトーの言葉に他ならない。  

Posted by なみログ at 00:36 | アラン・シリトー

2011年11月17日

アラン・シリトー

長距離走者の孤独 (新潮文庫)

長距離走者の孤独 (新潮文庫)

著作者:アラン シリトー

出版社:新潮社

価 格:500 円



アラン・シリトーという作家は、今ではほとんど読まれていないようだ。
というのも、文庫はわずかに長距離走者の孤独と、土曜の夜と日曜の朝が、新潮文庫に入っているが、イギリスの現代文学作家の紹介に、シリトーのことが紹介されているのも少なく、ファンとしては非常に残念なことになっている。
シリトーブームが到来するのを望む!


2001.4.19のノートから(備忘録代わりにここにも登録します)

土曜の午後(「長距離走者の孤独」 アラン・シリトー 新潮文庫)


しがない中年男の首吊り自殺を図る様子はそれが「真剣」であればあるほど、ぼくには「滑稽」にしか映らない。


首吊りに失敗し、おまわりに捕らえられるはめになった男はこう叫ぶ。「自分の命も自由にならねえなんて、結構な話じゃねえか」


おまわりは臆面もなく言う。「そのとおり自由にはならんのだ」


しかし、中年男は捕らえられたあと、病院の建物から飛び降り自殺を図って死ぬ。


少年は思う。

ぼくはとうとうやってのけたあの男をかわいそうに思ったが、またある意味ではうれしかった、なぜなら彼はポリ公やみんなに、はたしてそれが彼の命かどうかを証明してみせたからだ。

少年が思うように、中年男は「彼の命かどうかを証明してみせ」たかったのだろうか。

自分の命かどうかを証明してみせるために、命を落とすという精神はどんなものだろう。失敗した首吊り自殺にしても、狂言行為のはずだったとは言えないか。

「やれっ、やれっ」とは決して少年は言わなかったが、あきらかに少年の存在が彼を行為にまで及ばしている気がする。


中年男の切羽詰った状況は、狂言行為が許されることなく、実際行為にまで追い詰められていくさまをまざまざと感じる。彼に自由がなかったとすれば、「自殺は思いつきの狂言行為だった」と、<開き直ってみせることのできる自由がなかった>ことだとしか思えない。

※アラン・シリトーの描くイギリスのノッティンガムを想像して、筑豊の炭鉱町に似ていると誰かが書いた文章を読んだ。.  

Posted by なみログ at 23:26 | アラン・シリトー

2011年11月16日

白痴 (ドストエフスキー)

ブログの投稿画面に、Amazon書籍検索が追加されていたので、テスト投稿してみる。

ふむふむ。とりあえず問題なさそうだ。

と思ったら、ブログのトップへは画像が出ないようだ・・・

白痴 (上巻) (新潮文庫)

白痴 (上巻) (新潮文庫)

著作者:ドストエフスキー

出版社:新潮社

価 格:900 円


  

Posted by なみログ at 08:30 | ドストエフスキー

2011年11月15日

越前竹人形 (水上勉)



越前竹人形。

福井県の山奥の寒村で、生計を立てるために始めた竹細工加工業から生まれた竹人形作り。

その寒村で竹細工を始めた嘉左衛門の息子嘉助は、父親と男女の関係にあった玉枝を嫁に迎え、竹人形作りに邁進する。
嘉助の手による竹人形は京都や大阪でも好評を博したのだが・・・

雁の寺に比べると、少し長いせいもあってか、途中、玉枝が京に行って奔走するあたりが少し筋を追うだけになってしまったが、もちろん全体を通しての物語はとても素晴らしいし、最後はとても儚い。
儚いし、なんともやるせない。

文章で表現された越前竹人形がどのような人形なのか、ネットで探したところ、今の竹人形はこのような感じだそうだ。





この竹人形の話を、このような物語に紡いでしまう水上勉氏の創造力にはまいってしまう。

さらに、最後の五行。

 今日「越前竹人形」と名づくる真竹製の量産品が市場に出廻っているけれど、これらの製品は、この物語に出てくる竹神部落と何ら関係はない。
 今日の竹人形が、いわゆる嘉助人形の後継であるかどうか、作者は詳らなことは知らない。
 しかし、南条山地を分け入った竹神部落にゆくと、椿の花の咲く墓所の周囲を取り囲む雑然とした竹藪が、風にそよいでいる。


いわせる、五行ではないか!
  

Posted by なみログ at 23:51 | 水上勉

2011年11月13日

雁の寺 (水上勉)



海外文学はドストエフスキーに、日本文学は水上勉にはまっている。

水上勉氏の代表的作品である、雁の寺、越前竹人形の入った文庫を買い求めて読んだ。

この二作を収録した文庫本は、今後何度となく、間違いなく再読するだろう。それくらいのどちらの作品も名作だ。

とくに「雁の寺」は、全体を通して不必要な部分がなく、文章もしまっていていい。

(谷崎潤一郎氏がエッセイで、越前竹人形の水上勉氏の作品を褒めているが、それでも文章については、どちらかというと平凡でややたどたどしい、と書いているが、雁の寺にしても、越前竹人形にしても、十分ではないかとぼくは思う。)

名作といわれる小説なので、多くの人が批評し、読後感も発表しているので、ぼくなりの感想だけを一つ。

カラマーゾフの兄弟で、一番気になる人物として僕は、スメルジャコフを上げた。

雁の寺の主人公である慈念の、出生のこと、置かれた境遇。なんとなく通じるものを感じた。

椎の木のてっぺんに見た、鳶が作ったほの暗い穴。慈念もスメルジャコフも、同じような、ほの暗い穴を見てしまった人間ではなかったか。




  

Posted by なみログ at 22:35 | 水上勉

2011年11月11日

文学読書会in佐賀県

ほんファンブログをご覧のみなさん、こんばんわ。
なみログこと、川浪秀之です。

おとといと、昨日と、東京から佐賀に出張し、大人の文学読書会を2箇所で開催をしてきました!

念願のリアルイベントである、『ほんファン大人の文学読書会』がスタートしました。

課題図書は、水上勉著の短編『太市』。
伊万里読書会が、参加者7名。
佐賀読書会が、参加者8名。

とちょうどいい参加人数で無事開催ができました。参加された皆さんお疲れ様でした。そして、ありがとうございました。

伊万里市読書会は、文学読書会なるイベント自体、はじめてという方が5名だったので、どういう内容のイベントなのか不安を抱えて参加されたようで、ほんとうにお疲れ様でしたと思います。

けれど、読書会を終えての感想にもあったように、どちらの読書会も白熱した会話、議論になり、個人体験で終わらせていたら、感じることのなかった、新鮮な価値観、考え方、捉えかたを感じていただき、また、参加者のこれまでの体験談や知人から聞かれた話など、さまざまな話をお互いに交わす、機会になりました。

果たして、文学読書会の目的はなにかと聞かれると、一言では説明がしずらいのですが、文学読書会の目的は、ただ単に、物語の筋を追ったり、犯人を捜したり、解釈をしたりするのではなく、また、登場人物や物語の読後感だけを、共有するのではなく、文学作品を読み進めるときに、ふと頭に浮かんだ、参加者自身の過去の体験や、苦労した経験、幸せな体験、自慢話、見聞きしたこと、青春時代の思い出、幼少期のこと、などを、話せる範囲で口に出し、物語を媒介にして自分自身に向き合い、他者の話に耳を傾け、ときに助言をし、励まし、一緒になって考えてあげたりすることに、その目的はあります。

文学読書会は、作品を解釈するためだけに使うのではなく、明日への生きる糧、ヒント、力を得ることのできる社交の場だと思ってもらえればと思います。

佐賀県伊万里市、佐賀市ともに、来年1月から毎月開催をしていきたいと思っていますし、東京都内はじめ全国どの地域にも、文学読書会の輪を拡げていきたいと思っています。

次回、参加してみたいとか、自分たちの地域でも開催してほしいという方は、どうぞお気軽にコメントか、オーナーへメッセージをください!!

■伊万里読書会に参加されたヤマグチさんの感想はこちら⇒
■伊万里読書会に参加された村上さんの感想はこちら⇒



11月10日(木)10時〜12時佐賀読書会の様子
(佐賀市のアイスクエアビル3階にて)


11月9日(水)14時〜16時伊万里読書会の様子
(伊万里市民図書館会議室にて)



真剣に課題小説を読む村上さん


最後になりますが、伊万里読書会の開催にあたってご協力をいただきました、伊万里市民図書館の古瀬館長様、同館溝上様、ネットオンビレッジ代表村上様、佐賀読書会の開催に協力いただいた、『たまには小説を読み込んでみよう塾』の塾生、『火曜読書会』の塾生の皆さん。ありがとうございました。この場を借りてお礼申し上げます。
  

Posted by なみログ at 01:04 | 文学読書会

2011年11月08日

ドストエフスキーがやってくる

駒込図書館にて 21世紀 ドストエフスキーがやってくる という本書を借りてきた。

次は白痴に進んでみようかと思う。
  

Posted by なみログ at 05:14 | ドストエフスキー

2011年11月06日

飢餓海峡の風景

数ヶ月前になる。

休みが取れたので下北半島を自分の目で見、津軽海峡を渡ろうと思い立ち、旅に出た。

飢餓海峡。言わずと知れた水上勉の小説の題名である。

青森港からはフェリーで函館へと渡った。

犬飼多吉が上陸した仏ヶ浦をフェリーから見ようと思ったが双眼鏡なしにはほとんどよく判らず、しかしあの辺りだなということでイメージを勝手に膨らませた。

フィクションであるのに、実際に行って見てみたい、土地の雰囲気を感じてみたいと思わせる物語の力。文学の力って、いったい何なのだろうかと思う。
  

Posted by なみログ at 00:17 | 水上勉

2011年11月02日

文学読書会in佐賀県伊万里

ほんファンブログをご覧の皆さんへ

おはようございます、なみログです。

普段は東京でWebプロデューサーの仕事をしているのですが、なぜか、、この度、

11月9日(水)に佐賀県伊万里市民図書館会議室にて、

大人向けの文学読書会を開催することになりました!!

ただいま、参加者を募っています。
時間の都合がつく方は、ぜひ読書会にご参加ください!!

今回は佐賀県での開催ですが、東京都内でも読書会を企画しています。
東京近郊のブロガーさんで興味のある方は、コメントに、文学読書会興味あります、と投稿ください♪


■イベントタイトル
大人向け文学読書会in伊万里(佐賀県)

■主催者(個人)
川浪秀之(かわなみひでゆき)(福博印刷勤務)

■開催日時
2011年11月9日(水)14時〜16時

■場所
伊万里市民図書館会議室

■参加費
無料

■参加人数
10名(申込み順)

■参加者の対象
おおむね30歳以上の男女
主婦も歓迎!
50代以上の参加も大歓迎!
文学の読書歴、知識は問いません。
ほとんど文学作品読んだことのない方も大歓迎!

■読書会で扱う作品
水上勉著の「太市」
どなたでも、30分程度で読める短編です。

Amazonのページはこちらを参照。宮本輝選の短編アンソロジーに入っています。
http://p.tl/ztUN

※テキストは、事前に購入していただくか、図書館で借りていただくことになります。
※また、当日までにご用意できそうにない方には、主催者より本を準備します。

■参加申込み方法
参加申込みをしたい方は、必要事項を明記の上、下記のメールアドレスへメール送信ください。

・氏名(複数名での申込みは全員の氏名)
・連絡先(電話)

■参加申込み先
<メール>
web@ding.co.jp  読書会責任者/川浪(かわなみ)  

Posted by なみログ at 10:01 | 文学読書会

2011年10月31日

沖で待つ (絲山 秋子)





数年前に読んだ、芥川賞受賞作の「沖で待つ」の感想を少し。

あらすじは、他のサイトにまかせるとして、読者の関心事のひとつは、
沖で待つ、という太っちゃんのあの詩がだれに向けて書き残されたものなのだろうか、ということである。

「俺は沖で待つ
 小さな船でおまえがやって来るのを
 俺は大船だ
 なにも怖ろしくないぞ」

この詩は死んだ太っちゃんが、妻の井口さんに書き残した詩のいくつかとともに一緒にノートに書き残されていた。

井口さんに書き残された詩を見せられた太っちゃんの同期だった及川(女性)が、沖で待つ、の詩を見たときに、自分に向かって書かれていると、果たして察したのかどうか。。

察したと思う。

というのがなみログの見解。

だれに向かって書かれたかということを知りたいというのもそうだが、それよりも、及川自身が察したかどうか、ということと、妻の井口さんはどう思ったか、というのが文学的に考えてみる価値のあるところで、

例えば、
及川が自分に書かれた詩だと察した上で、井口さんから、このノートどうしたらいいと思う?と訊かれたときに、迷うことなく、大切にしておけばいいじゃないですか、と言ったとすると、その神経は、相当図太いものがあると思うし、そういう意味でこの小説の肝とも感じる二人のやりとりを、こうもさりげなく書いてしまう作者の感覚は会話以上に敏感な感性だ。

新しい男女関係の形とか、同期愛などとキーワードを用いて批評するだけにとどめるには、もったいない小説だと思う。
  

Posted by なみログ at 18:26 | 文学(日本)

2011年10月30日

買った!神田古本まつり

神田古本まつりは楽しかった!

何の本を買ったかはすいません 見せれません。(笑)
  

Posted by なみログ at 16:35